〜〜Zephyranthes〜〜
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 初秋のある日。

 秋葉が修学旅行で暫く留守にする事になった。
 秋葉の学校は良い所である為、旅行も豪勢にヨーロッパだという。
 その為、8日ばかり秋葉は帰ってこないらしい。
 あの屋敷に8日間、3人だけって言うのはちょっと淋しい物が有るなぁ、と
思いつつ学校に行ったその帰り道……
 俺は怪我をした子犬を見かけた。





 小犬と 志貴と 翡翠と 琥珀と





 その小犬はどうやら車か何かに引っかけられたらしく、後ろ足から血が滲ん
でびっこを引いていた。
 その子はどうも飼い犬らしく、俺が近寄った時も特に吠える事もなく、ただ
怪我の痛みに堪えてるだけだった。
 その姿があんまりにも可哀相だった物で、俺は服が汚れるのも構わず家まで
拾って帰ってしまった。
 家に着くと玄関先に翡翠が居て、まず血で濡れた俺におどろいて「志貴さま、
お怪我は大丈夫なんですかっ!? 姉さん、志貴さまがっ!」と琥珀さんを呼
び、琥珀さんは俺の抱いてた子犬に気付いて「翡翠ちゃん、志貴さんは大丈夫
です。でもお湯を沸かしてもらえますか?」と、小犬の手当てをしてくれた。
 2人に事情を話すと、翡翠は自分の早とちりに頬を染め、琥珀さんは「志貴
さんってお優しいんですね」と、からかうようで、でもどこかほんの少し哀し
い視線を送っていた。
 我ながら衝動的すぎたなと反省する反面、秋葉が居ない事を心の中で感謝し
ていた。
 もし秋葉が居たら、この子の手当て所ではなかったろうから……





 志貴さまが子犬を拾っていらした、次の朝。
 わたしはその小犬の世話を任されてしまいました。
 志貴さまは学校がお有りになるので面倒を盛見る事は出来ません。
 だから必然的に姉さんとわたしの2人で面倒を見るのですけど、姉さんは「
わたしが怪我の様子とご飯の準備をしてあげるので、翡翠ちゃんは様子を見て
て上げてね」という役割分担をしてしまいました。
 実際の労力は姉さんのほうが大きいのですけれど、時間的な物でみると、ほ
ぼ付きっ切りでわたしがこの子を見ている事になってしまいました。
 わたしは初め、この子をどう扱って良い物かと困っていました。
 自慢できることでは無いのですが、この歳になるまで犬や猫といった動物に
触る事が全く無かった所為で、初めての経験にわたしは当惑していました。
 もっともこの子は怪我を負っているので動けず、ただただソファーの上でね
っ転がっているだけでしたが。
 わたしはその様子をまるでぬいぐるみのようだと感じてしまい……
 そして、殆ど衝動的にその子の頭を撫でてしまいました。
 すると、小犬は気持ち良さそうにくーんと鳴いきました。
 その声を聞いて、もしかして、この子は不安なのかもしれないと思いました。
 急に怪我をしてしまい、御主人様からはぐれ、しかも見知らぬお屋敷に連れ
てこられてしまう。
 もしわたしが同じ立場だったら、凄く心細いと思います。
 そう思うと、急に愛おしさが湧いてきました。
 もう大丈夫、怖い事なんて何も無いのよ。
 わたしはそう言い聞かせうように、ずっと小犬の頭を撫でてあげました。
 いつのまにか、わたしはこの子を好きになっていました。





 3日目。
 志貴さんの拾ってきた子犬が熱を出してしまう。
 どうやら傷が炎症を起こし熱を持ってしまったよう。
 うかつ、傷ばかりに目をやってしまい、化膿止めを使うのを忘れてしまった。
 このままでは熱にやられるか、さもなくば傷口が壊疽を起こしてしまう。
 ……どうしよう。
 専門職に見せるほうがホントウは良いのだろうけど、場所が分からない。
 そもそも今日は休日で、きっと外来はやって居ない。
 困った。
 志貴さんと翡翠ちゃんは、小犬の事を心配そうに見守っている。
 特に翡翠ちゃんなどはまるで我が事のように気を配り、くるしげな小犬の表
情を見て今にも泣きそうになっている。
 ……時間が無い、こうなったら、やるしかない。
 わたしは簡単な手術をする事にした。
 一応、人のそれなら手ほどきを受けたし、何とか出来る自信は有った。
 ただ動物のそれにはちょっと自信が無い。
 だから、本当の所は怖い。
 いつもの様に笑顔を浮かべてるけど、内心、ドキドキしている。
 でも、やるしかない、そうしないと、この子が死んでしまう。
 わたし自身は正直、どうでも良い。
 でも、翡翠ちゃんと志貴さんが哀しむ。
 そう思うと、是が非でも救わなきゃ、と思ってしまう。
 焼いたメスを手にとり、小犬の患部に近づける。
 ふっと、小犬と視線が合った。
 その瞳は、未知の物への恐怖と、熱による苦しみで揺れていた。
 ズキリ、と心が痛む。
 理由はわから無いけど、何故か、子供の頃の自分とダブってしまった。
 わたしは、精一杯の笑顔を浮かべて、大丈夫よ、と囁いた。
 すると小犬が、ほんの少しだけど、頷いたような気がした。
 それに促されるように、わたしはメスを通す……
 気丈にも、小犬は鳴き声を上げなかった……それが、嬉しくも、哀しくも有
った。
 なんとか、手術は成功。
 良くがんばったねと小犬の頭を撫でてあげると、小犬はほっとしたように眠
ってしまった。
 …………訳も無く、嬉しくなっている自分に、気付いた。





 子犬を拾ってから4日目。
 昨日の大手術の影響か、小犬に元気が無い。
 もっとも体力的には問題が無さそうなので、一安心なのだけど。
 そしていまさらなのだけど、この子は飼い犬だと思い立つ。
 つまりは、飼い主はきっとこの子を探している。
 だとしたら、俺は拾った責任として、この子を飼い主の所へ返さないといけ
ない。
 そう思った俺は、飼い主を捜すビラを作る事にした。
 翡翠や琥珀賛意も手伝ってもらいながらそれをしていたのだけど、何故か2
人とも、乗り気でない様子だった。
 乗り気じゃ無いというか、どこか飼い主を探すのを嫌がっている節を感じる。
 それを不思議に思いつつも、俺達はびらを50枚ほど作り、手分けしてみつ
けた所の近所へと配って回った。
 上手く飼い主が見つかれば良いのだけれども。





 5日目。
 小犬が少しずつ元気になってきました。
 まだ上手くは歩けない様子だけど、それでも可愛らしく鳴いたり、怪我して
ない前足でじゃれ付いたりしてくれます。
 その様子がいとおしくて、ついついナデナデしたり、もっと遊んであげたり
してしまいます。
 結果として、仕事は殆ど捗らないという結果になってしまっています。
 いけない、これではメイド失格ですね。
 そう思って掃除をしようと思うのですが、小犬はわたしが離れると、もの悲
しそうにくぅーんと鳴くのです。
 その様子があまりにも可哀相なので、ついついと構ってしまいます。
 悪循環です。
 そう思っていると、仕事の終わった姉さんが代わりに面倒を見てあげる、と
言ってくれました。
 助かるのは確かなのですが、正直な所を言うと、もっと小犬と遊んであげた
い、とも思うのです。
 特に姉さん悪阻の嬉しそうな顔を見ていると一層そう思ってしまいます。
 多分――いえきっと、姉さんもこの子が好きなのでしょう。
 この子も、わたしだけじゃなくて姉さんお琴を好いている節を感じます。
 ……2人してわたしを仲間外れにするのはひどいです。
 さっさとおしごとお終わらせて、わたしもあの子と遊びたいです。





 6日目……
 小犬が何とか歩けるようになる。
 もっとも、まだ無茶はさせては行けないので、わたしか翡翠ちゃんのどちら
かが動いて歩かないように、と抱いている。
 抱いていると小犬独特のふさふさで汚れの無い毛並みが、とても気持ち良い。
 だからついキューと抱きしめそうになってしまうけど、この子は人形では無
いのだから、と自制する。
 子犬を抱いている間は、このジレンマの繰り返し。
 そんな最中、ふとこん事とを思った。
 何故おとつい、この事わたしは似ていると思ったのだろうかと。
 純真で、無垢で、汚れの無いこの子……
 それに対して、わたしは汚れ、荒み、ついぞこの間までは人形ですらあった。
 生きる意味も、笑顔の意味も、人としての本意すら失った、ただの人形に成
り果てていた。
 そんなわたしと、この子の何処が似ているのか……
 とても似つくとは思えない。
 でも……もし、たった一つだけ、あるとするなら……
 それは、わたしが汚される前……
 その時の無垢なわたしと、この子は似ているのかもしれない。
 そう思うと、言い知れない怒りと共に、それを圧する愛おしさが生まれた。
 この子は、わたしのようになって欲しくない。
 ずっとこのまま、綺麗なままで居て欲しい……
 それはわたしの勝手な言い分かもしれない。
 でも、わたしが出来なった事をして……
 わたしにがされた事は絶対されずに。
 綺麗なままで居て欲しい……
 わたしの代わりに。
 強く……強く、そう思った。





 7日目。
 終わりはあっけなく訪れた。
 ビラを見咎めた飼い主が、夕方屋敷にやってきた。
 飼い主は怪我の手当てと世話をしてくれた事に凄く感謝し、何かお礼とをし
つこいくらいに言ってくれた。
 そんな飼い主に俺はお気持ちだけで十分と丁重に断る。
 そんな中、翡翠がこんな事を言い出した。

「あの……また、その子のお顔を見させて貰って……宜しいですか?」

 と。
 飼い主はそんな事で良いのならいつでも、と快く承諾してくれた。
 それを聞いて、翡翠と、そして何故か琥珀さんも、嬉しそうな――でも何処
か悲しそうな――笑顔を見せた。

 飼い主と小犬が、屋敷を去って行く。
 その姿は7日間の俺達との交流よりも、ずっと絵になって見えた。
 やっぱり、飼い主と共に居たほうが小犬にとっては幸せなのだろう。
 そう思いつつ背を見送っていると……

 小犬が、わんっ、と元気良く鳴いた。

 まるで、7日間ありがとう……そう言うかのように。
 その瞬間、翡翠と琥珀さんが、つぅっと涙を流した。
 小犬を見送った時の笑顔をそのままで、でも、止めど無く涙を流した。
 その時やっと、翡翠と琥珀さんは、あの小犬が凄く好きになっていたんだな、
と気付いた。

 今日を入れてもたったの7日間。
 其れでも、翡翠と琥珀さんにとっては、あの子は間違いなく家族だったのだ。
 だから、別れが悲しいのだろう。
 ずっとこの屋敷に括られ、縛り付けられ、外の世界を夢でしか見る事の出来
なかった2人の少女。
 そんな2人が初めて触れた、外の世界の存在――
 彼女達にとって、あの小犬がどれだけ不思議で、怖くて、でも、いとおしか
ったのかは、想像に難くない。
 だからこそ、心を通わせまでしたあの子が家を去る事が、哀しいのだろう。
 今生の別れというわけではない。
 でも、もう家族では有り得ない。
 今日までの7日間家族であった存在なのに、もう2度と、その関係には戻れ
ない。
 それが分かっているから、2人はとても哀しいのだろう。

 そう思うと、2人がとてもいとおしく思えてしまった。

 だから俺は、2人に向けてゆるく腕を広げた。
 泣かないで、俺がそばに居るから。
 あの子は行ってしまったけど、俺は2人のそばに居てあげるから。
 俺が、2人の家族で居てあげるから……ずっと。
 だから、2人とも、泣かないで……
 そう言い聞かせるように、笑顔で、優しく、手を広げる……

 2人は、弾かれるように俺に抱き着いてきた。
 そして、さっきよりももっと強く、そしてもっと大きく、泣いた。
 わんわんと……でも、どこか嬉しそうに、とても悲しそうに。

 そんな2人を俺は微笑みながら優しく見詰め、しっかりと抱きしめてあげた。





 月が出て、3人を照らし始めた、その時まで……


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