〜〜Zephyranthes〜〜
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 AM12:27
 ロサンゼルス とあるバー

「くそ、気にくわねぇ!」

 ダンッ! という乱暴な音と共に空のグラスがカウンターへと打ち付けられる。
 シックな雰囲気の洒落たバーににつかわない、荒っぽい音だ。
 愚痴るその客は、持ったグラスをも握り潰してしまわんばかりだった。

「何様のつもりだってんだ……」

 浅黒く大柄な体躯と刈り上げた頭は、遠目で見ると男と間違えてしまう。
 しかし微妙な曲線を描くボディーラインは、間違いなく女のそれであった。
 そして、黙っていれば悪くもない顔に、今は鬼の形相を浮かべていた。
 
「あのキザ野郎……いつかぶっ殺してやる」

 物騒な事を言う客……
 しかし其の形相を見れば彼女がある種の本気であると察する事が出来た。
 その為、他の客は彼女に寄りつこうともしない。
 しかしバーテンはそうもいかない。
 彼は仕方無しという風にその客を窘めた。

「リズィ……飲み過ぎじゃないのかい?」
「うるせぇっ、さっさと次を出しやがれっ!」
「だがもう10杯目だぞ? 幾らなんでもペースが早すぎやしないか?」
「客がよこせっていってるんだ……黙ってだしなっ!」
「わかった、わかったよ。そうがなるなって……」
「けっ……」

”まったく、今日はいつにも増してあれてるな……”

 バーテンは一人ごちながら渋々という風でもう一杯水割りを作る。
 そしてグラスを差し出す。
 客――リズィと呼ばれた女は、引っ手繰るようにグラスを奪い取る。
 そして一気にあおった。

「くっ……はぁ……」

 強めの酒が一気に喉を降りる感覚を味わいながら、彼女は悪態を吐いた。

「くそ……酔いでもしなければやってられねぇってんだ……」

 そして、荒れている原因を反芻し始めた。



 約3時間前 PM9:30
 インフェルノ本部

「病み上がりに呼び立ててすまない……」

 豪勢な調度品や家具に囲まれた部屋に通されてすぐ、中に居た若い男がそう声
を掛けてきた。

「悪いとは思ったが、頼れるのは最早君ぐらいしか居ない物でね」

 彼は本当に頼っているかどうかも怪しい口調で、そう話してくる。
 プラチナの髪をまるで女のように伸ばし、年代物のパイプを片手に貴族か何かの
様な服を来て佇む男。
 インフェルノの創始者の一人で、今現在、実質的な権限の全てを一手に担う男。
 麻薬王、マグワイア。

「いえ、こんなにはかすり傷ですよ…」

 その彼にリズィは一応、形式どうりの受け答えをしておいた。
 だが内心はマグワイアと同じく、心からの言葉ではない。

 リズィはこの男が嫌いだった。

「なるほど……あまり無理はしてないでくれたまえ」
「……はい」

”けっ……白々しいにもほどがあるぜ、この優男が”

 気障ったらしい態度、人を見下したような視線、趣味の悪い服装。
 どれをとってもリズィの癪に障る物ばかりだ。
 インフェルノの大幹部、即ち自分の上司でなければ殴り飛ばしているところだ。

「では、早速で申し訳ないのだが……」

”ほらきやがった”

 思わず心の中で呟く。
 この男が用も無しに自分を呼ぶ筈が無い、リズィには分かりきった事だった。

 しかし、次にマグワイアの発した言葉はリズィの予想を越えた物だった。

「君に、元ファントム2人追撃の任務に当たって貰いたい」
「……は?」

 一瞬思考が停止して、馬鹿みたいに聞き返してしまう。
 そんなリズィに対し、いぶかしげにマグワイアは続けた。

「聞こえなかったのかね……? 元ファントム、アインとツヴァイを追い、殺し
て来てもらいたい」

 いきなりといえばいきなりな言葉だった。
 此所暫く病院にカンヅメだったとはいえ、自分がドライ……キャルに撃たれた
後の事情は、部下を通じて知っている。
 確かインフェルノは、アインとツヴァイは日本で取り逃してから、彼等の足取
りをまったく掴めていなかった筈ではなかったか。

”待ちやがれ……”

「まちや……いえ。待って下さい。一体どう言う事ですか?」
「ふむ……いきなりでは理解できないか。では順を追って説明していこう……」

 そう言い置いて――当人は其のつもりは無いのだろうが――マグワイアは気だ
るそうに語り始めた。

「君が撃たれた後の話だけするが……知って居るとは思うが、我が組織最高の暗
殺者であったファントムと、彼女を育てた男、サイス=マスターは死んだ。元フ
ァントム2人の手によって」
「はい……」

 確かに、知っていた。
 むしろこの優男より知っている。
 誰が誰を殺したのかも。
 死に顔を確認したという奴等から聞いて、一発で分かった。

”ドライ……キャルは安らかな寝顔で、サイスのクソ野郎は驚いた顔で死んだっ
て言うからな。どっちがどっちを殺ったかなんざ良く分かる”

「ま、それは知ってます……もっともその時はあたしはベッドの上であの世とこ
の世を行ったり来たりでしたがね」

 ”キャルの死”という寂寥感を払う意味も込めて、わざと皮肉気味に言う。

「うむ……結局、その後も追跡は行ったが……」

 しかし其の皮肉は分かってもらえなかったようだ。
 あるいはマグワイヤにとってはどうでも良かったのかもしれない。
 リズィもその当たりは分かっているのだろう、顔には出さず、目の前の男を覚
めた感情で見詰めていた。

 結局互いに互いの心情はかいさず、話は続く。

「ようとして足取りは掴めなかった。香港当たりまでは追跡できたのだがね…」

”そろいも揃ってぼんくらばかりかよ……”

 情けない報告を聞いて、リズィは頭が痛くなってきた。
 結局、インフェルノが強大な力を持ち始めたとはいえ、それはアメリカだけだ
という事だ。
 一度標的が海外に出てしまえば其の影響力、情報収集力は格段に落ちる。
 ましてや、暗殺だとか、そういう仕事はたった一人の存在にずっと頼り切って
いたのだから。

”ファントム……その名を受け継いだもの達”

 歴代3人の、若い少年少女。
 其の存在に、このインフェルノは頼り過ぎていた。

 ファントム達は今まで、其々の幹部が表向き所属する組織の上位、言わば眼の
上のたんこぶを専門に狩って来ていた。
 其の点に関しては、インフェルノはファントムという存在には絶大な信頼を置
いていたのだ。
 どのファントムも――当人達に其のつもりがあったかは定かではないが――組
織の期待にこたえ、今までにターゲットを討ち漏らした事が無かった。
 また其の戦闘能力は細々した争いにおいても絶大な力を発揮し、インフェルノ
の幹部達はその結果に満足し、そして過信し過ぎてしまった。
 だからこそ、虎の子のファントムが討たれてしまえば、裏事に関しては殆ど力
が発揮できなってしまったのだ。

”あたしを初め、私設部隊に力を注がなかったツケがこれだ。組織戦がてんで出
来ない。これほど致命的な組織はねぇだろ?”

 インフェルノの決定的な欠点は、組織全体で見た戦力――単純な戦闘力だけで
はなく、対外への影響力と、情報収集力をかねた複合的な力――が薄いという点
である。
 それが露呈した結果が此れだ。

 もっとも、其の穴はサイス=マスターが作り上げた”量産型”が埋める筈だっ
たのだが。

「我々としても……」

 リズィの思考を寸断するように、マグワイアが話しつづける。

「今回の件で元ファントム2人を相手取って事を構える事の愚かさを良く分かっ
たつもりだ。だが、組織という物は引けない事もある……」
「えぇ……」

 結局、インフェルノがアインとツヴァイ…エレンと玲二を追う理由は、其の一
点に集約される。
 飼い犬に手をかまれた結果を放置していては、対外にたいしての示しが付かな
いのだ。

”あたしから見れば馬鹿な事だと思うがね”

 リズィの内心の呆れを知らず、マグワイアは何処か芝居がかった口調で続ける。
 何処か自分の言葉に酔っているようでも有った。

「その為にも、全力を持って彼等の追跡を行わなければならない。そんな折り、
有力そうな情報が入ってきた……つい昨日の事だ」
「そうですか……」

”そりゃ良かったな、ご苦労さん”

「国内外を問わず、できる限りの空港を当たらせていた結果……つい先日、ロス
の空港で彼等らしい2人組を見つけたという報が来た。らしいとは言っていたが、
ツヴァイを知っている人間が言っていたのだ、まず間違いはないだろう……
 もっとも、尾行は失敗して巻かれたのだが……」
「……」

”は、まったく間抜けだね。そしてその尻拭いはあたしがやるのかい?”

 リズィは最早まともに聞く気も無くなりつつあった。
 結局はそういう仕事ばかりである。

”馬鹿な上司の尻拭い”

 もっとも、それが分かっていて未だインフェルノに残っているのでは有るが。

「そこでだ。君にはその足取りを追ってもらい、元ファントム達を捉えて来て欲
しいのだ。無論、生きてというつもりは無い……君に任せる。
 資金も人材も出来うる限り提供しよう。但し……」

 一旦切って……
 マグワイアは細い目をより細くしながら、リズィに告げた。

「必ずこの仕事はやり遂げてもらいたい。インフェルノの威信と名誉に掛けて」
「…………」
「承知出来るかね? リズィ……」

 念を押すようにマグワイアは言う。
 一応威厳の篭った眼で。

”承知、ね……この状況で断れると思ってるんかね、このボンボン……”

 無論、断ればインフェルノという組織の中で生きてはいけまい。
 殺される事はなくとも、今の地位からは追い落とされる。
 もっとも、地位に未練は無いが……

”畜生…”

 インフェルノという組織には、ある種の未練が有った。
 だから、彼女には断れなかった。
 それがどうしようもなく自分に不利な事であっても、馬鹿馬鹿しいと思えても。
 だから、彼女の答えは決っていた。

「分かりました……やってみます」

 それを聞いて、安堵とも嘲笑ともいえない物がマグワイアの顔に浮かんだ。

「うむ……期待している。頑張ってくれたまえ」
「……はい……」

 鷹揚に頷くマグワイアを前に、リズィは怒りが表に出ない様勤めていた。




 AM1:44
 リズィの車の中

”あたしは結局、クロウディアの影を追ってるんだろうな……”

 あれから1時間以上飲んでの帰宅途中。
 道端に車を止めたリズィは、ふっとそんな事を思った。

”志半ばで倒れた、クロウディアの為……か”

 組織への義理や仁義だけで無く、自分はきっと、クロウディアが居た組織だから
いまだに残っているのだろう。
 最近、リズィはそう思うようになっていた。

”後はキャルの為でも有ったっけね。……でもそれも潰えちまった”

 心を割いていた妹分の少女は、不幸ながらも幸福を手に入れたのだろう。
 愛する男の手に掛るという、最後を。

 だがリズィは、その件に関してツヴァイに怒りを持つ事はなかった。
 無論、”何故?”と思う気持ちは有るが、それでもツヴァイの気持ちは分かる
つもりだった。
 誰よりも、キャルの為に辛酸を舐めていたツヴァイを良く知っていたのだから。
 その彼がどういう思いでキャルを手に掛けたか。
 石木ではないリズィには分かるつもりだった。

”キャルはキャルで幸せだったんだろうな……死んじまっちゃなんにもならねぇ
けどよ”

 それは良い……もう済んだ事であり、もうキャルは戻ってこないのだから。

 問題は、この自分が当のツヴァイとアインを捉える、もしくは殺す命を受けて
いる事だ。
 はっきり言えばまったく自信はなかった。
 当たり前である。

”インフェルノに居て、ファントムに喧嘩を売る馬鹿馬鹿しさがわからねえのは
新参者ぐらいだろうな”

 何より、一時は最強のファントムといわれたツヴァイ、そしてそれを鍛えた初
代のアインが相手だ。
 勝負どころか自殺行為の何物でもない。

 だがむしろ、リズィを逡巡させ、怒りへと転化させた理由は……

”今更、逃げている奴等を追っかけ回して何になるってんだ”

 インフェルノという組織を裏切ったという事実は、リズィの仁義から見れば許
されない事実では有る。
 そして、リズィの親友であったクロウディアが死んだ間接的な理由も、腹心で
あったツヴァイが逃亡したからと言える。
 そういう意味合いからは、いまだツヴァイに対して怒りは消えては居ないが…

 だから何だというのだろうか。

”今更その思いをツヴァイにぶつけてどうなる。クロウディアが生き返る訳じゃ
ない……死んだ人間は戻ってこない。壊れた関係は簡単にゃ直らねぇ”

 2年と半年という月日は、リズィの心を落ち着けるには十分だった。
 じっくりと考えれば……クロウディア、キャル、そしてツヴァイとアインの意
志が何処にあったかはおぼろげに見えてきた。
 自分には理解できない事も多かったが、それでも皆、自身の”信念”に従って
”生きた”という事は分かった。
 それだけでも十分だった。

”結局は、なるようになっただけじゃねえか……みんな自分の意志で「行き」、
ある奴は「死んで」、ある奴は「生き残ってる」だけだ”

 すべて、自らの人生を自らの意志で歩んだ結果だ。
 そんな彼等に、自らの信念も貫けずに生き残ってしまった自分達が何を言える
のだろうか。

 死んで天へと召された人間に拘って、どうなるというのだろうか。
 自分の人生を精一杯生き抜いている者達に、他人が何を言えるというのか。
 みな、自らの”仁義”を貫いただけではないか。

”それをだ……今更混ぜっ返してどうなる?”

 リズィが怒りを感じた理由は、其処だったのだ。
 そう……最早いまさらでしかないのだ。
 組織の面子だとかどうとか言う点も、最早いまさらなのだ。
 拘っているのはマグワイアのエゴでしかなく、忘れられないのはリズィ自身な
のだから。
 しかし……

「くそ……それでもあたしは……インフェルノの一員なんだ」

 うなだれるようにハンドルに突っ伏し、か細く呟く。
 気丈なリズィが見せる、弱々しい姿だった。

”結局――自らの仁義を貫けないのは、あたしだけなのかもしれないな”

 本当はそれが悔しいのかもしれない。
 心の何処かで、リズィはそう思った。

 空の月は、そんな彼女を無表情に見詰めていた。




 AM:7:02
 廃工場、玲二の夢――

 久しぶりに夢を見た。
 どのくらいぶりだろうか……
 もう随分と見た気がしない。
 いつもなにかに追われ、気を張り、浅くしか眠れなかったから。
 だから、初めはそれが夢だと気付かなかった。

 その夢には、3人の女性が出てきた。
 一人は若い少女、一人は妙齢の女性、もう一人はエレン。
 何故か他の2人は思い出せなかった。
 でも、知っている人だ……そう思った。

 俺はそれぞれといろんな話をした。
 3人の女性達も楽しそうに話しをしていた。
 話は弾み、笑顔が漏れ、とても楽しかった。

 ずっとこのままで有って欲しい……
 心からそう思った。

 でも……

 何時の間にか、妙齢の女性が居なくなって。
 そして気付いたら若い女の子も居なくなっていた。
 エレンも、居なくなっていた。

 俺は名前を呼んだ、エレンと、少女と、女性の。
 だが、エレン以外の名前が何故か思い出せなかった。
 それがもどかしくて、ただとにかく叫んだ。

 捜そうと大声を出した。
 辺りを見回し、走り、叫んだ。
 でも、誰も答えてはくれなかった……

 怖かった。
 淋しかった。
 泣きたくなった。
 誰かに居て欲しかった。
 側に居て欲しかった。

 でも……誰も居てくれなかった。
 哀しいの意味を……初めて知った。

 何時の間にか、俺は泣いていた……
 たった、独りで。
 いつまでも泣いていた。 



「……」

 何時の間にか目が覚めていた。
 だが、気だるくて眼が開けられない。
 瞼を通して射し込む光で、朝だと気付いた感じだ。
 見た夢が夢なだけに、朝だというのに気は晴れてはいなかった。

 さわ…

 ふと……頬に何かが触れた。
 柔らかく暖かい感触が俺の頬を滑る。
 そして瞼を照らす光が少し陰った。
 誰かが覗き込むように…

「ん……」

 何だろう…
 そう思って、眼を開けてみた。
 そこには……

「……眼が、覚めたのね…」

 優しく微笑むエレンが居た。
 良く見るとエレンの手が俺の頬に触れている。
 その手は、何かを拭うように俺の頬を滑っていた。

「怖い夢でも見たの……?」

 囁く様に小さな、エレンの声。
 そう聞かれて、俺はやっと泣いている事に気がついた。
 エレンの指は、俺の涙を拭い落としていたのだ。

「……あぁ……」

 夢現な声で俺は答える。

「……独りぼっちになる夢だった……
 誰も居なくなって……独りで泣いている夢……」
「……」
「誰も……エレンも居なくなる夢だった……とても哀しかった……淋しかった」

 哀しい夢……
 夢で泣くなんてどのくらいぶりだろうか。
 もう、子供の頃だとしか憶えていない……
 遠い遠い昔……記憶の隅にしかない、昔。

 なで…

 頭に何かが触れる感触…
 エレンの手だ。

「……大丈夫……」

 さっきよりしっかりとしたエレンの声。
 そして、エレンは俺の頭を抱きしめるように顔を寄せてきた。

「わたしはあなたの側に居るわ……」

 優しい手つきで俺を撫でながら、エレンが囁く。
 エレンの匂いがまじかに感じられた。
 草原の匂いだった。

「ずっと……いつまでも、ずっと……あなたの、側に」

 子供をあやす様な声……
 そんなエレンを声を聞いていると、心の中の不安が嘘の様に消えていった。
 安心出来た。

「……ありがとう……」

 俺はまた泣きそうになるのを堪え、一言呟いた。



 数分後……
 しっかりと目が覚めると、さっきまでの事がなんだか気恥ずかしくなってしま
った。
 エレンもそう思ったのだろう、身支度をしている横顔が何処と無く赤らんで見
える。
 全く、朝からなにをしてるんだ、俺達は。

 もっとも、いつまでもそうしている訳にもいかない。
 早々に此所から発たなければいけなかった。
 何時までもこの工場に居る訳にはいかない。
 いつ足がつくか分からないからだ。

 其処で俺達は、旅立つ準備をはじめた。
 まずは……



 AM8:47
 廃工場、朝、武器庫

「流石に……」
「出しっぱなしの銃はさびて使えなくなってるわね」

 神妙な面持ちで俺達は呟く。
 武器庫……意外な事に、ここに有った銃器は手付かずで放置されていた。
 インフェルノが回収してしまったかと思っていたのだが……
 もっとも、俺達にとっては天の恵みに等しい。

 戦力が幾分増すからだ。
 今はその戦力の品定めを行っている、のだが……

「弾は大丈夫だけど……ふぅ……銃は半分がだめそうね」

 残念そうにエレンが呟く。
 そして、彼女が赤茶けたガヴァメントをコンコンと机に打ち付けると…
 銃口からぱらぱらと赤黒い欠片が落ちて来た。
 錆だ。
 外もだが、中の方もひどい様子だ。
 少なくとも、こいつは戦力になりそうじゃなかった。

 銃という物は、結構デリケートな部分が有る。
 たとえば、今のような錆。
 外見の錆はともかく、機関部に生じた錆はそう簡単には取り払えない。
 一度完全に分解し、部品の一つ一つから丁寧に手入れをする必要が有るからだ。
 また構造的に複雑な部分の多いオートマティックは、一度錆が生じたら精度も
耐久力も致命的に落ちる……
 つまり”死ぬ”事となる。
 銃とは常に使いつづけるか、常に手入れをしないと駄目になってしまう物だ。

「こっちも駄目そうだ……」

 言いながら俺は、手に持ったパイソンを使えない方の山に寄せた。
 それは、初めて銃の練習に使ったパイソンだった。
 かつての戦友が鬼籍に名を連ねる……少し哀しく感じた。
 残念ながら、かつて銃器の技術を身に付ける為に扱った戦友達は、半数近くが
その身を赤黒く染めて永眠してしまったようだ。

”如何に必殺の威力を秘める銃であっても、手入れが無いとこんな物だ……”

 しかし、幾つかの銃と弾は無傷だった。
 無事だった銃は油紙に包まれていたおかげで、弾の方も箱に入っていたおかげ
で湿気から保護されていたのだ。
 水に付けた後すぐ撃てて”ああ大丈夫だ”と思う奴が居るが、それは後で処理
をしているからの話。
 本来銃や弾は湿気に極端に弱いのだ。
 逆に湿気から守れれば、銃は放置しておいてもそれなりには持つ。
 脆い部分も有るが、構ってやれば堅牢でも有る。
 それが銃という武器だ。

「ま、初めから期待してた訳じゃ無いからな。弾丸を確保出来ただけでも良しと
しないと」
「ん…そうね」

 ゴソゴソと棚を漁りつつ、俺達はそれでも使える物が無いかを捜していた。
 もっとも、残った奴もちゃんと撃てるかは確かめないと分からないが。
 それはそれ、此れは此れ、だ。
 見た目が駄目な奴よりは生きているだろう。

 一通り捜し終えてから、俺達は区切りを付けた。

「まあこんな物かな……」
「そうね……以外と助かったわ」

 使えない山も多かったが、それでも使える類はキャリーケース4つ分くらいに
はなった。
 十分な収穫といえる。
 もっとも、誰からも見捨てられて朽ち果てようとしていたのを、この上更に酷
使しようというのはいささか気が引けるが……

”許せ。俺達も生きたいからな” 

 軽い哀悼の意味を込めつつ、生き残りを鞄へと詰めていった。



 AM9:00
 同所、車近辺

 銃を始め、様々な雑貨や荷物を纏め直して車に積んでいた時、ふと、空気が変
わった気がした。

「……?」

 なんといえば良いのだろう…
 戦場で感じる気配を薄くしたような、奇妙な不快感。
 ただ、あからさまな殺意とは言えない何か。
 とにかく、妙な気配を感じた。

「……」

 気のせいか……
 そう思った時、エレンが神妙な面持ちでやってきた。
 そして少し緊張した声で話し出した。

「玲二、車を出して」
「え?」
「嫌な気配を感じる……ここにいては危険な気がする。早く立ち去らないと」
「エレンも感じたの?」
「玲二も感じたのね……だったらなおさらね」

 エレンは急っつく様に促してきた。
 もちろん俺も同感だ。
 こういう”カン”が、外れた事はない。
 もっとも、当たり方がまともじゃない場合も多いが……

 っと、そんな場合ではないか。
 俺は意識を引き戻して車の点検にはいる。

 ガスはOK、タイヤも良い。
 サスにも以上は見当たらない……もっとも、そんなに詳しくも無いが。
 エンジンは未だ点けられないが、さっき開けた感じでは大丈夫だった。

 次はアクセル等。
 クラッチ、アクセルブレーキ……OK。
 ハンドルの具合も特に変ではない。
 インジケーターも問題はない。
 車は問題ないハズだ。

 昨日からこっち何も無かったのだから、当り前といえばそうだが。
 ともかく、ガタガタとトランクに荷物を積んでいるエレンに、その旨を伝える。

「こっちは良いみたいだけど、そっちの準備は?」
「終わったわ。後は私達の痕跡を隠す事だけだけど……」
「この際だ、いまさらそれはもう良い。早く行こう」
「ええ」

 エレンもそのつもりだったのだろう。
 空いていたトランクを手早く閉めて、滑り込むように助手席に座る。

”さて、後は出てから鉢合わせにならない事を祈るだけだな……”

 そんな事を思いつつ、俺はキーをスタートさせようとた。
 その瞬間。

 パーーン……

 工場の外の少し遠くから、乾いた銃声が聞こえた。




 時間は少し戻り、AM8:27
 廃工場より約5km離れた、潰れたガソリンスタンド。

 日差しが暑くなり始める少し前。
 赤茶けた広野が何処までも続く中に有る、寂れたガソリンスタンド。
 そんな廃虚に、黒塗りの車が数台止まっていた。
 リズィと、その私兵達だ。

 数台の車が止って居る中、先頭の車の脇にリズィが立っていた。
 黒いサングラスを掛け、その車の運転手――子分――に向って話している。
 話し掛けられているのは、ここの面子の中では最年少に近い青年だった。
 彼にしてみれば、命懸けに任務だという自覚はないのだろう。
 まったく持って気楽な様子でエンジンを蒸かしていた。
 そんな青年に向い、リズィは渋面をつくって話し掛ける。

「……良いか、十分に注意するんだぞ」
「分かってますよ、あねさん」
「おどけてるんじゃねえぞ? 良いかい、相手を餓鬼だと思ってると足をすくわ
れるからな」
「はいはい…」
「ちゃんと聞けっ!」

 おざなりな返事をする青年に向かい、怖い顔をしてみせる。
 が青年は対して答えは風でもなかった。
 むしろ”初めての実戦”という事で浮かれているようだ。

「っ、たく……」

 そんな様子を見つつ、頭が痛いとでも言いたげにリズィは続ける。
 実際軽い頭痛を憶えていた。

「いいかい? もし居たとしても絶対喧嘩を売るんじゃない。分かったな? 居
たらそれを報告しに戻るんだ。良いか、報告しに戻るんだ。忘れるんじゃないぞ」
「分かってますって、ほんと」
「ちっ……いきな」
「へい」

 絶対分かっていない風の青年に向い、リズィは言い放つ。
 いわれた青年は何でもないと良い風に笑顔を見せて、車を走らせ始めた。
 頑丈そうな黒い車は見る見るうちに砂埃の中に霞み、視界の隅にある工場へと
走って行く。

「……」

 そんな様子を、リズィは複雑そうに見詰めていた。

”本当に忘れるんじゃないぞ……”

 しかし、サングラスの所為でその表情は他の子分には見て取られなかった。


 マグワイヤから指示を承諾した時点で、リズィは2人の居場所の見当があらか
たついていた。
 というより、あの2人が危険を冒してアメリカに来て身を隠す場所など、簡単
に当たりが点けられる。
 過去に彼等がアジトとしていた場所だ。
 其の中で現存しているのは、あの廃工場しかない。
 だから、朝一番に兵隊を率いて此所にすっとんで来たのだが……

「……」

 リズィはまだ悩んでいた。

”出来る事なら、居るんじゃない……ツヴァイ……”

 腕組みしつつ車の後を見ながら、リズィはそう思っていた。
 居なかったら居なかったで他の場所に行けば良い。
 だが、もし居たら……

「……っ」

 嫌な光景を思い浮かべ、思わず拳を握り締める。

 車で工場に向ったのは、運転手を含め5人。
 みなショットガンやハンドガンで武装はしている。
 しかし、相手も銃を持っている事は明白だ。
 加えてあのファントム2人が相手だ……

”居れば、確実にやられる”

 あの運転手の青年の事だ……ほおって置けば喧嘩を吹っかけるかもしれない。
 そうなったら確実に殺されるだろう。
 それを見越して報告しに戻れと念を押したのだが…効果のほどは疑問だ。

”そして……もしかしたら、ツヴァイ達が……”

 殺されるかもしれない。
 いかなファントムとは言え、不意をつかれたら…

”有り得ない、有って欲しくない、だが、しかし……”

 そんな言葉がリズィの脳裏を乱反射する。
 ツヴァイ達が居れば、命懸けの殺し合いが始まる。
 居なかったら、探しに出掛けなければならない。

 組織からの命は、元ファントム2人を連れてくる事。
 その際”生死は問わない”だった。
 だがリズィは、ツヴァイ達を見つけたいとは思っていなかった。 
 むしろ2人を逃がしてやりたいとすら思っていた。
 だが、組織を裏切る事も出来ない。

 指揮官としての自分と、一個人としての自分。
 ツヴァイ達を追う自分と、ツヴァイ達を逃がしてやりたいと思う自分。

 結局どっちつかずなまま、彼女は工場へと探りを入れさせた……
 出来れば、外れであって欲しいと思いつつ。

「あねさん」

 不意に、リズィの背後から声が聞こえた。

「っ!?」

 急な声にリズィはどきりとしつつ、反射的に振り返ると…
 一人の私兵が声を掛けて来ていた。
 小太りでスキンヘッドの黒人……何処かおどおどした様相でも有る。
 が、手にはサブマシンガンを持ったままである。

「? どうしたんですかい? 焦った様子で……」
「な、何でもないよ……それより何だい?」

 内心の動揺を押し隠しつつ、努めて冷静を装ってリズィは聞いた。
 スキンヘッドの男は少々不思議そうだったが、気にしないで聞き始める。

「へぇ……質問なんですが……なんであねさんは、こんな辺鄙なところに来たん
ですかい?」
「あぁ? そりゃ、あの工場にファントム達が居る可能性が高いからさ」
「はぁ……あこですか?」

 リズィの視線を追うように、スキンヘッドの男が廃工場を見る。
 彼の眼には朽ち果てて見える其処に、誰かが居るとは到底思えなかった。

「ほんとに居ますかねぇ? あこに……人がいそうにゃ見えませんが?」
「さぁな、わかんないね。だからアイツ等を向わせたんだよ」
「はぁ……」
「だが、もしツヴァ……ファントム達がアメリカに居たとするんなら、まず間違
いなくあこに居るだろうさ」
「居たら、ですかい?」
「ああ、居たら、な……」

 男は、居るのか? という風に廃工場を見た。
 リズィは、居てくれるな、という風に廃工場を見た。

 2人がしばし廃工場を見詰めてから……
 リズィが何気なく言った。

「ま……居なかったら別を当たるさ。取りあえずはアイツ等の帰りを待つ事だ」
「へぇ……」

 何処か”居ない”と言っているような返事を耳にしながら、取りあえずスキン
ヘッドの男は頷いておいた。


 だが、リズィ達が着いてから約20分後。

 パーーン……

 無情にも、その銃声は鳴り響いた。

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