〜〜Zephyranthes〜〜
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 十日後

「う……ぁ……そ、そんな……!」

 脅えるように繰り返す男……
 男のいる部屋は、ほんの1時間前までインフェルノの選ばれた物だけしか入る
事の許されない場所であった。
 男の趣味に合わせてアンティークの絵画やソファー、絨毯が使われていたが…
 今は其の全てが炎に包まれている。
 その炎の向こう……部屋の入り口には”男の知る者”が2人佇んでいた。

「あの数を……あの人数を突破しただとっ、ばかな、馬鹿なっ!」

 育ちの良さをうかがわせる優麗な顔を恐怖に歪めながら、男はあとじさる。
 部屋の殆どが炎に包まれ、入り口とベランダしかもう逃げ場はない。
 男は炎から、何より侵入者達から逃れるようにベランダへと逃げた。

「インフェルノが……私のインフェルノが……そんな……そんな馬鹿なっ!!」

 ガツッと言う手応えを感じ、男は後ろを振り返る。
 もう後が無い……背中に感じたのはベランダの縁だった。

「うぅっ!!」

 驚愕に目を見開く男…
 其処から見える眼下の光景は…まさに崩壊と言う名の地獄だったろう。
 敷地と言う敷地に火の手が回り、全てが焼け落ち始めている。
 自らを守るべく集められた精鋭……金の力で集めた傭兵達は、ことごとく血の
海に沈み、その身体は回ってきた炎で焼けこげ始めている。
 中には息の有った物が断末魔の叫びを上げて転げ回ってすらいた。

”馬鹿な……ばかなバカナバカナッ!”

「信じられん、信じるものかっ、インフェルノは、私のインフェルノがこんな事
で……貴様らなどに滅ぼされてたまるものかぁっ!」

 半狂乱になって……いや明らかに錯乱しつつ、男が手に持った銃を振り上げた。
 だがその引き金が引かれるより先に。

 ドォンッ!

 鈍い音と共に、男の胸に穴が空いた。

「がっ! アァァァッ……!」

 そして、ベランダから燃え盛る庭へと転がり落ちて行く。
 彼の夢、彼の野望と共に燃え尽きて行く――
 インフェルノの全ては、潰えた……

「……いこうか……」
「……ええ……」

 侵入者達はそう嘯いて…
 ”自らの過去”から踵を返した。



 そして……七年の後……

 赤く焦げた大地。
 何台もの車が通り荒れ果てたアスファルト。
 到底命とは縁が無さそうなそんな所…
 テキサス州の果て。

 そんなまともに生活できそうでは無い所にも、街が有り、そして人は住む。
 必然、娯楽を求め、その為に酒場が出来る。
 酒に、話題に餓えた人々は酒場に集う。
 そんな名も知れぬ街の酒場……
 しかしそこは繁盛していた。

 ガヤガヤ……

 決して大きくはない店舗…位置は、街を貫き大陸を横断する道路に面している。
 15人程度が座れるカウンターと、20卓ほどの机と椅子。
 小さな街にしては大きな方では有るが、それでも一般的なアメリカの酒場にし
ては小さい方だろうか。

 しかしその酒場には、何台もの車、そしてバイクが止まっていた。
 店の半分以上に人が入っている。
 唯一の娯楽が酒と言っても過言ではないにしろ、客の入りが多かった。
 そして客層も柄の悪そうな男が多い。
 しかし、一様にその顔には笑顔が浮かんでいた。
 決して皮肉な物ではない、たのしげな物だ。

 口が悪く人相も悪い男達。
 彼等は長距離トラックの運転手であり、近くの牧場のカウボーイである。
 しかし皆、性根は悪い者ではない。
 喧嘩は日常茶飯事であったが、酷い流血沙汰になる事は絶対に無かった。
 皆が仲間であり友人であるからだ。
 こんな男達が集まる理由は、この店の店長に有った。

 店長は体格の良い黒人女性だった。
 この店の客は、殆どがこの店長の友人なのだ。
 気前が良く姉御肌な彼女を、皆好いていた。
 何より、この店で一番強いのが彼女だった。
 その為、この店では喧嘩は起っても大事にはならないのだ。

 彼女の他には店員が2人。
 2人とも、店長と居住まいを共にする少女だ。
 2人の少女はもともと、孤児でどちらも路頭に迷っていた。
 そんな身寄りの無い少女達を店長が養育し、少女はお礼にと店の手伝いをして
いた。

 何故自分達を助けたのか…少女達は一度そう聞いた事が有る。
 その時、店長はさみしげな笑みを漏らしてこう言ったらしい。

”昔……アンタ達みたいな子を救えなかった事が有る。だから、今度は絶対、幸
せにしてやるんだ……守ってやりたいんだ”

 と……
 少女達はそれ以上追求はしなったが……
 それ以後、店長を姉と、そして母と思うようになった。
 2人の少女もまた、客同様に店長の事を好いていた。

 3人の女性と、男ばかりの客の酒場…
 だが、何処か暖かみの人情の溢れる酒場だった。

 カラン……

 そんな店に、ドアベルを鳴らしてまた客がやってきた。
 しかしその客を見て、男達も、そして2人の少女も目をみはってしまう。
 幼い女の子と、母とおぼしき……しかし、こちらも若い少女。
 そして、20半ばと言った風の成年だ。

”家族連れ…?”

 少女達がいぶかしむ様にそう思う。
 無理も無い。
 この店に家族連れが来る事など滅多に……いや、一度も無かったかもしれない。
 そもそも店長が荒事も起る店に婦女子が入る事を嫌う為、入って来た時点で追
い払われるのだが…
 しかし、店長はその家族……正確には、成年に一瞥をくれて…
 そして何故か、ふと笑って何も言わなかった。

 当の家族は、周りの奇異な視線を一心に受け……
 しかしそれを平然と受け流していた。
 きょろきょろと物珍しそうに当たりを見回り女の子とそれを窘める少女。
 そしてそんな2人を見守る成年も、まるでここの常連か何かの様に自然な振る
舞いをしていた。
 そして、窓際の一席に座り……
 成年は2人に何かを囁き、そしてカウンターの方へと向ってきた。
 その時、店長がやっと口を開いた。

「……お前達、他の客の相手をしておくれ」
「え…?」
「あたしゃ暫く係っきりになるよ。古い友人が来たんでな…」

 そういって、こっちに向ってくる男へと視線を向けた。
 少女達は要領を得なかったが、取りあえず店長の言に従う事にし、取りあえず
今来た家族にオーダーを取りにいった。



 成年がカウンターのすぐ側までやってきた。
 黒いサングラスと、春も終わろうとしている時期なのに何故か黒いコートを着
ている。
 しかし珍しい事でもない。
 人目を忍ぶ輩にはそういう姿の者が多い……店長は良くそれを心得ていた。
 それ以前に、その男が誰であるかを良く知っていた。

 成年が、コートを脱いで席に付く。
 コートの下からは紺の上着と白いパンツのスーツ姿が現われる。
 そして、そっと店長へと口を開いた。

「……久しぶりだな……元気そうで何よりだ」
「へっ……アンタの方こそ元気そうで何よりだよ」

 たのしげに笑いつつ店長はグラスを磨いている。

「何か飲むかい? ここは酒場だ、飲む場所だぞ?」
「ん……連れの手前だ、遠慮しとくよ」
「そういうなよ、アタシのおごりだ……一杯くらいならいいだろ?」
「ん……そうだな……せっかくの好意だ、貰うよ」
「あいよ……ついでだ、お連れさんの分もサービスしとくよ」
「いや、その分は払うよ。そこまでしちゃ悪いさ」
「相変わらず義理堅いねぇ……アンタも」

 店長はやれやれと言った風に笑いながら、慣れた手つきで冷えたジョッキを取
り出し、ビールを注ぐ。
 成年の方は苦笑いしつつ、店長に挙動を漫然と眺めていた。

「……注ぐの、上手いな」
「そりゃね。7年もやってりゃなれるさね。っと、はい、お待ちどう。ぐいっと
いきな」
「ん……ありがとう……」

 礼とともにジョッキを受け取り、勧められるままに成年は一口飲んだ。
 すると、その表情が軽い驚きに包まれる。

「ん……これは…」
「へへ……分かるか? やっぱり」
「これって、アンタが良く飲んでた奴だよな?」
「あぁ。決めてたんだよ、店を開いたらビールは絶対にこれにしようってな」
「店をねぇ……確かにこのビールは美味いから、人気あるだろ?」
「なかなか、な。ちと値が張るもんで、上々じゃねえんだがよ」
「なるほど……」

 薄く微笑みながら、もう一口ビールをあおる。

「店……楽しいか?」
「ん…? あぁ。楽しいぜ。何せ夢だったからな」
「夢?」
「あぁ。アンタにゃ言ってなかったっけか。引退したら片田舎に引っ込んで、酒
場でも開こうって昔から思ってたんだよ。アタシにゃこの程度の身分が相応だ」
「ふっ……良く似合ってるよ、板に付いてる」
「ははっ、褒め言葉と思っとくよ…アンタこそ、良いパパみたいじゃないか」
「ぐ……」

 不意を付かれて思わず成年はどもってしまう。
 そんな様子を見て、店長はニヤニヤしながら後を続けた。

「しかしまぁ…以外と言うかお約束どうりと言うか……結局、あの子とくっつい
たのかい?」
「……あぁ。俺にはもう、彼女しかいないからな。自然な成り行きさ…」
「あの子にも、あんたが必要だろうさ。っと、もう一人いたっけか? 可愛いお
嬢さんが…」
「茶化すなよ……と言いたいところだが当たりだ。我ながら親ばかだとは思うが
……可愛いだろ?」
「はは……確かに親ばかだ。でも、否定はしねぇよ。将来が実に楽しみだね」

 そう言いつつ、2人は窓際の席にいる女の子と少女とを見た。
 女の子は子供らしい白いワンピースと、フード付の赤いコートを羽織っている。
 両親譲りの黒いおかっぱを振りながら、目の前のナポリタンと格闘をしている
ようだ。
 母親の少女は、そんな女の子を窘めるように汚れた顔をナプキンで拭く。
 黒い紙を短く切り、紺のスプリングドレスと赤いスカーフを纏うその姿は、多
く見積もっても20前にしか見えない。
 しかしその表情は、女としての最大の苦痛と幸せを経た者にしか出来ない、慈
愛の笑顔を浮かべている。

「……良い顔だな。あの子達も……アンタも」
「ん……まあな。妻と子供と……3人で居られれば、それだけで幸せさ」
「まったく、惚気てくれるねぇ……」
「ふふ……」
「やれやれ……アタシも良い男でも見つけようかね」
「くすっ……見つかると良いな」
「やろう、先にしたからって勝ち誇りやがって」
「そんなつもりは無いけどな……」
「ちぇ……」

 何処か悔しそうに、でも笑みを湛えながら店長が舌打ちをする。
 そんな時、ふっと店長が思い出したように言う。

「っと……そういえば……」
「ん……なんだい?」
「あの子の名前……なんて言うんだ? そういえば聞いてなかったが…」

 そう店長が聞いた時…成年は、一瞬動きを止めた。
 気まずい……というよりも、何処か昔を思い出す様に沈黙する成年。
 そして……そっと、囁くようにいった。

「……あの子の名は……キャルって言うんだ」
「っ……キャル……か」

 今度は店長の方が動きを止めた。
 その表情は何処か驚いた風でも有り、何処か納得していた風でも有った。

「意外だったかい…?」
「――いや、そう付けるだろうなって思ってたさ……良い名前だ」
「……ありがとう」
「へ……”あの子”にゃ全然似てないけどな」
「まぁ……俺達の子だからな……でも……」
「でも?」
「……」

 成年は後を続けず…ただじっと、自分の娘を見詰めていた。
 その表情に、僅かだが憂いが浮かんだのを店長は見逃さない。

「……残念、と言うべきなんだろうか……俺達の力まで受け継いじまった」
「てぇと……あれか?」
「ああ。まだ6歳だってのに……まるで昔の”あの子”みたいだよ」
「まさか、アンタ……」
「いいや、ただの護身術程度さ。それ以上は仕込んでない。でも…」
「上達が……か……」

 やれやれ……
 まるでそう言いたいように、店長がため息を吐いた。

「……分かってるとは、思うが……」
「あぁ……分かってる。間違わないよ……もう、2度と」
「それが良い……」
「ん……心配してくれて……ありがとな」
「へっ……アンタの為じゃねえさ。キャルの為だよ」
「……そうだな」

 2人とも……何処かを見詰める感じで笑みを零す。
 まるで……誰かがそこに居るように。

 そしてその後も何気ない話題を振り合い、30分も経った頃…

「……さて。そろそろいくよ」
「もうか? ゆっくりしていけよ……何なら家に泊まっても良いぜ? 広くて部
屋は空いてるしよ」
「いや……飛行機のチケットも有る。あまり時間も潰せないんでな」
「飛行機……何処へだ?」
「……実家」
「実家だぁ?」
「いや、母国かな……」
「てと、日本か…?」
「あぁ……」

 クスリと笑って、成年はコートを羽織った。
 そして内ポケットから何枚かの紙幣を取り出す。
 連れの分の代金だろう。

「日本に家を買ったんだ。苦労したよ……戸籍なんかをそろえるのには」
「だろうなぁ……あれだけの事をやれば、なぁ」
「はは……まぁ……だからか、この国には住めないから……2人で話し合って、
日本にしたんだ」
「でも……なんで日本なんだ?」
「ん……なんでか、か……」

 一瞬成年は考えて…ゆっくりと応えた。

「……やっぱり、HOMEだからかな……」
「HOME……か」
「あぁ……結局……人は生れた地に戻るものさ。俺と……そして、娘が産まれた
のも日本だったんだ。だから……娘のために……な」
「そうか……」

 仕方ないかな…そういう風に店長が息を付く。

「せっかく会えたのに、また会えなく成るな」
「ふ……この国に来たら、絶対立ち寄らせてもらうよ」
「あぁ……じゃあその時を楽しみにしとくよ。潰れる前には、来てくれよな?」
「その心配はないんじゃないか? 良い客ばかりじゃないか」
「はは……荒くれどもばかりさね。まあ、気の良い奴等ばかりだがよ。それに、
あの子達も居る…淋しくも無いしな」
「そうか……良かった。アンタも、自分のHOMEを見つけたんだな……」
「まあな……それに関しちゃ、あんたより早かったな」
「どうやらそうみたいだ……けど、幸せになる度合いは負けないぞ?」
「アタシだって負けるかよ」
「ふふっ……」
「へへ……」

 何処か不敵な笑みをお互いに交わし……
 そして言った。

「じゃぁな。また会おう」
「あぁ……また会おうぜ……」

 コートをたなびかせて、成年は出口へと向った。
 店長が軽く手を上げて、成年を見送る。
 何時の日かの再開を、心に誓って。

 ドアの近くには成年を待って居た女の子と、少女が立っていた。
 女の子は嬉しそうに成年に抱きつき、成年は女の子をそっと抱き上げる。
 そして、空いた手で成年は自分の妻である少女を抱き寄せた。
 少女は恥かしそうにしながらも、そっと腕を廻す。
 

 そして、3人は寄り添いながら店を出た……
 自分達の新たな故郷――HOMEへ帰る為に……




 ――ねぇパパ。お家はどんななの?――
 ――えっとねぇ……白くて2階建てで、近くには湖も有るところだよ――
 ――ほんと? 早く行きたいなぁ、見たいなっ――
 ――くす……慌てなくても、お家は逃げないわよ――
 ――でも、ママも早くみたいでしょ? 新しいお家――
 ――うん、ママも早く見たいわ――
 ――でしょでしょ? だから早くいこっ――
 ――分かった分かった……じゃあ、キャルの為に急ごうか――
 ――やったあっ、パパ大好きっ――
 ――もぅ……ママは?――
 ――えへへ、ママもだあい好きだよ――
 ――ん、嬉しいわ……ありがとう、キャル――
 ――はは……じゃ、安全運転で、急ごうか――
 ――そうね、事故を起こしちゃ元も子もないから――
 ――うーん……じゃあ、事故を起こさないで急ごっ――
 ――あぁ、じゃあ、行こうか……皆の、家へ――
 ――うんっ!――


 

                           HOME――Fin


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